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XJAPANの日々の出来事を綴ります
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R25


【2005.07.31】



Vol.56
好きなことをただひたすらに―
情熱を傾ければ、道は開ける。
YOSHIKI
よしき
X JAPAN(82年結成、97年解散)のリーダーにしてドラマー、ピアニスト。バンドでのCDの総売り上げは2100万枚以上。その楽曲のほとんどが彼の 作詞作曲によるものである。99年11月、天皇陛下在位10年記念式典における奉祝曲『Anniversary』でのパフォーマンスを契機に活動を本格的 に再開。03年にはコロムビアミュージックエンタテインメントと契約。世界的な活動を視野に入れた、新プロジェクト“VIOLET UK”の制作にとりかかる。構想10年以上という“VIOLET UK”は近々、本格的に始動する。また、携帯電話公式サイト「YOSHIKI mobile」に、新コンテンツ「着ボイス」「着ピアノ」が登場 ! このためだけに録音されたボイスやピアノの音色に注目だ。その他、貴重なオフショットや、本人のメッセージも配信中である。





“ひとことでいうと、人生ですね”――
栄光と挫折、光と影がつねに同居する
伝説のロックバンド X JAPANでの活動を、こう総括した。
日本の音楽業界に数々の偉業を残し、彼らは風のように時代を駆け抜けていった。
そして男は今やアーティストとしてだけではなく、
音楽プロデューサー、レコード会社社長としての顔も持っている。
かつて手にした栄光にすがることなく、世界を視野に入れて、新たな人生を走りだした。



23 歳の春、YOSHIKIにある大きな転機が訪れた。89年4月21日、CBSソニー(現・ソニーミュージック)からアルバム『BLUE BLOOD』で、自身がリーダーを務めるXがメジャーデビューを果たしたのだ。デビューアルバムからセールスは100万枚を突破、年末には日本有線大賞 『最優秀新人賞』、全日本有線放送大賞『最優秀新人賞』などを受賞した。
「インディーズ時代はね、“エクスタシー・レコード”っていう自分のレー ベルを設立して、活動してたんだけど、意外に成功しちゃったんで、ビジネス面が忙しくなっちゃったんですよ。プロモーション活動とかいろいろ面倒くさく なっちゃった。それでメジャーに行けば、こういうことをやらなくていいんだろうなと思い始めたんですね」


自ら退路を断つ破滅型
既存のものを壊したかった。

X JAPANは82年、YOSHIKIとTOSHIが中心になり、まず、Xとして誕生した。2人が高校生のときである。実はYOSHIKIは当時、音楽大学への進学も考えていたが、それをやめてしまう。
「いろいろ音大を受けるつもりはあったんですけど、結局、逃げ道を作るのがイヤだったんですよ。バンドがダメだったら、もう人生なんかどうなっちゃってもいい、とまさにそういう心境だった。“退路を断つ”みたいなのが自分の性には合ってるんです」
高 校卒業の段階で自分の将来をひとつの方向に定めるということはよほどの勇気がないとできないことである。いや、それ以前にこの年代では“まだ、自分が将来 何をやりたいのか”すら見つからないだろう。そう考えると、この男の人生のスピードは異常に早い。「ひょっとすると物心ついたころからそうなのかもしれな いけど、もうこれはね、昔から僕、破滅型なんです(笑)。あまり先のことは考えないっていうのは今もあるかもしれない」
何のツテもない状態ながら、上京から1年後にはバンドとしての体裁を整えた2人。85年6月にはインディーズながら初のシングルをリリースした。
「とにかくあのころは、自分の作ったものを聴いてもらいたいっていう、それだけ。逆に評論家筋には認められたいとは思わなかった。CD出したときに雑誌とかに評論書かれたんですけど、けっこうひどい内容だった。でも、それはそれで良かったような気はする」

この出来事が、自分の表現したい音楽をひたすら追求するのみ、という姿勢につながっていく。
「お手本とか教科書みたいなもの―『ロックはこう弾くべきだ』みたいなものがあるじゃないですか。

それを言われるだけで頭にきていた時期だった。好きにやればいいじゃないのって。要するに心が通じればいいというか、音楽に酔って誰かを刺激できればいいと思っていたので、方法論とかいわれるといつもムカついてました。既存のものなんて、ぶち壊しちゃえって」
“ 敵が多ければ多いほど燃える”“ひとりで1000人に向かっていくような性格をしている”…YOSHIKIの自己分析だ。ライブハウスを壊すなどの暴走は 当たり前で出入り禁止をくらう、なんていう伝説が生まれたのも恐らくこの気性による賜物だろう。その危うさがXの魅力のひとつでもあった。
当時としては珍しい、プロモビデオの配布など、自身のプロモーション活動を積極的に行ったこともあり、その知名度は一気に全国に広がった。
88年4月にリリースしたアルバム『Vanishing Vision』はメジャー・チャートにランクインする記録的アルバムとなったほどだ。そして、その年の8月、待望のメジャーレーベルと契約を果たすことになる。


メンバーとの出会いは、
まるで婚姻届のない結婚

91 年にはNHKの紅白歌合戦に初出場、92年には日本人アーティストとしては初となる東京ドームライブ3DAYSを敢行し、計15万人以上を動員した。93 年にはワーナーミュージックのAtlanticレーベルへ移籍、全世界契約を結び、バンド名をX JAPANに改名した。彼らは、日本の音楽史に確実にその名を刻んでいった。だが、X JAPANの活動を振り返るとき、メジャーデビューは音楽活動の一環にすぎず、多少の転機になった程度のことだと、YOSHIKIは語る。
「むし ろ、大切だったのはメンバーとの出会いですよ。あのメンバーだったから続けられた面もあると思う。一番大きいのは幼少時代のTOSHIとの出会い。たまた ま近所に住んでたっていうことなんですけど、不思議なことですよね。HIDEにしたって、もともと他のバンドのリーダーだった。それを僕が引き抜きにいっ たんだけど、そのときは自分のバンドがあるからって、断られた。ただ、そのバンドが解散しちゃいまして、彼は音楽を辞めようとしていた。実はそのとき相談 されたんですけど、“じゃあ辞めちゃえばいいじゃん”って突き放したんですよ。どうも誘われると思っていたフシがあって、ショック受けてたようなんですけ ど、それでかえって冷静になったみたいで、そのあと“Xに入りたい”って彼からいってきたんです。そういう不思議な出会いですよね」
これにギターのPATAとベースのTAIJIを加え、メジャーデビュー時のXのメンバーが揃った。実はアマチュア・インディーズ時代にはメンバーが流動的で、入れ替わり立ち代わりで“元・X”の肩書を持つミュージシャンは20人は下らないという。
「このメンバーで固定されたのはね、音楽性の方向が同じだったっていうか、“そのとき良かった”みたいな。それだけですよ。だから雰囲気的にいうと婚姻届のない結婚みたいなもの。でも、彼らとの出会いがあったからこそ、間違いなく今の自分がある」


何をどうしたら達成なのか、
実はいまだにわかってない

YOSHIKI の活動は次第にグループの枠を越えたものになっていく。93年には幼少時代に育んだクラシックの才能を発揮し、ロンドンフィルハーモニー交響楽団とコラボ レートしたアルバムを発表。30万枚を売り上げる。94年にはQUEENのドラマー、ロジャー・テイラーとの共演も果たす。
97年、X JAPANは解散、98年には公私ともにかけがえのない友人、HIDEを亡くしたが、彼の走りは止まらなかった。今年は愛知万博の公式イメージソング 『I・ll be Your Love』をプロデュース、開会式では自らタクトを振った。そして近々、長年温めてきたプロジェクト“VIOLET UK”がついに始動する。常に立ち止まらず全力疾走…その姿は生き急いでいるようにも見える。何が彼をそこまで駆り立てているのだろうか。
「やっ ぱりそれは…音楽が好きだからじゃないですかね。でも、たまに疲れますけど(笑)。そうはいっても、僕にはオフはないですよ。“オフ=死”みたいに思って るくらいですから。それはね、達成の尺度がわからないせいでもあります。たとえば100億稼いだら達成なのか、それとも結婚して子供を作ることがゴールな のか。それがまだわからないんですよ、全然」
だからこそ、YOSHIKIは全力疾走しているのだろう。そして、今後もそれは続いていく。
「だ からね、いまだに手探り状態ですよ。100万枚売れば達成だと思ったら“別にだから”と思っちゃいましたし、東京ドーム公演も10回以上はやってるけど“ うん、それで”ぐらいに思っちゃって。フェラーリを3台買ったら気持ちいいのかと思ったら、別になんてことない。何をすれば達成したのか、みたいなものは まだわかってない。ひょっとするとゴールは自分の理想とする楽曲ができたときなのかもしれない。だから多分、曲を延々と作り続けてるんでしょうね」
“昔も今も、好きな音楽のことをただひたすら考えてただけだ”とYOSHIKI。そして走り続けて今や“世界の”という冠がつく存在になった。だからこそ目標を、将来を見失っている世代にYOSHIKIは言う。“不可能なことってないと思うんですよ”と。
「昔 はいろんな制限があったと思うんですけど、○○になりたいとか、今は自分のなりたいものにはなんでもなれるじゃないですか。それができないっていっても多 分、それは言い訳ですよ。目前のイヤなことから逃げてるだけ。自分の心の思うままに従って、ただ、ひたすら好きなこと、やりたいことに情熱を傾けていれ ば、自然と道は開けていくんじゃないかな」



インタビュー編集後記

メジャーデビュー2 年目。90年6月には2ndアルバムレコーディングのため、活動を休止し、11月にはレコーディングのため、渡米。そんななか、いつも思っていたのは「い い曲を作ってみんなに聴いてもらいたい。自分が落ち込んだときに音楽で自分が励まされるので、逆に元気のない人の力になりたい」。離れていたからこそ、 ファンの思いも強烈だった。12月に東京ベイNKホールで開催されたフィルムコンサートはX不在にもかかわらず、2日間で1万5千人を動員する。
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中国訪問の記事、いろいろ出てますけど・・・とりあえず

この写真にメロメロヽ(;´Д`)ノ

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きゃーーーー もうダメ ◎+<バタリorz
眠れるVIPルームの王子様(笑)   美しい~~~~(〃∇〃)

あー、この写真好き好き好き

わたくし壊れてます、すみません、放置でオネガイシマス(^^;)




あー、さて中国訪問に関する記事です。

 

■サンスポ
『YOSHIKI「絶対やりたい」鳥の巣公演』

http://www.sanspo.com/geino/news/090615/gnj0906150505013-n1.htm

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(記事概略)

YOSHIKIは、13日に北京、14日に上海を訪問。北京では約2500人を招待したファンの集いを開催し、今秋予定の北京公演を延期することを明かした。

YOSHIKIは、ファンの集いの前に鳥の巣を視察。複雑な鉄鋼構造が作り出す“影”の美しさに心打たれ、「XJAPANのイメージにぴったり。時期は未定だが、絶対にここでやりたい」と力を込めた。

また、上海では、約2500人のファンを前に10月10日にパリ公演を行うことを発表し、「ぜひ上海でもコンサートをしたい」と約束した。


上の眠れる王子様写真はここのですw

また、別の記事によると「鳥の巣」は、日本の「プラダ・ブティック青山店」のデザインもしたスイスの建築家事務所「ヘルツォーク&ド・ムーロン」が設計したのだそうです。


■BARKS
『YOSHIKI、鳥の巣を視察、北京・上海でもファン熱狂』

http://www.barks.jp/news/?id=1000050246
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(記事長いので概略)

YOSHIKIの中国への「到着に合わせ、北京の空港には手にバラの花を持った500人のファンが詰め掛けた。

YOSHIKIは到着後、鳥の巣を視察。会場関係者にコンサートとして使用する際の説明などを受けたようだ。

その後、YOSHIKIは北京市内でのファンの集いに出席。このイベントに招待された幸運なファンは1万人以上の応募から選ばれた2,500人。

イベントでは、2008年の東京ドーム公演のライヴ映像が流れ、会場はたちまち大興奮となった。X JAPANを待ち望む想いは世界共通、フィルムコンサートでの盛り上がりは日本と何も変わらない。むしろ思いが募っているだけに、その感動の大きさは日本 のオーディエンスの比ではないかもしれない。
音楽は言葉の壁を越える共通文化とはよく言うが、ここまで端的に体現して見せているアーティストは、X JAPANくらいのものだ。

コンサートの上映が終わり、壇上にYOSHIKI本人が登場すると割れんばかりの声援に会場が揺れ る。北京でのコンサート開催について質問が及ぶと、「時期は未定だが、2010年かもしれない。絶対にやりたいですね。」と北京のファンにアピール。延期 に関する問題は会場のスケジュールだけ。実現に向けての準備は着実に進んでいる様子だ。

このあと、YOSHIKI一行はそのまま北京空港から上海入り。出発時刻は夜22時という時間にも関わらず北京の空港には500人以上のファンが再度押し寄せ、別れを惜しんでいた。


大騒ぎの北京の空港を後に、上海に到着したのは午前0時過ぎ。この時間ではさすがに静かだろうと思いきや、上海の空港にはなんと1,000人以上のファン がYOSHIKIの到着を待ち構えていた。訪れる先々で熱狂歓迎を受け、もみくちゃになりながらも、笑顔で手を振り続けた。


翌日は上海でもファンミーティングに出席。選ばれた約2,500人のファンと、昨日の北京での様子を伝え、
質疑応答では北京で食べた
ショーロンポー
がおいしかったこと、上海でもコンサートを行なうつもりであること、そして新曲を4曲加えたベストアルバムを2009年末にリリース予定であることを明らかにした。


また、ここで2008年の予定から延期となっていたフランス・パリ公演を2009年10月10日に行なうことも発表された。

 


 

深夜なのに、上海空港に1000人ものファンが集まっていたとは、すごい!(◎_◎;)

にしても、よっちゃんは小籠包がお好きですわね(* ̄m ̄) ププッ

 



YOSHIKI、上海へ到着後はどうしているんでしょうねー?

上海での記事ありました
適当想像翻訳ですんで、読んでくださる時はそこんとこよろしくww


■QQ.com
日本の有名ビジュアル系ロックバンド X JAPAN、鳥の巣でのライブ希望

http://ent.qq.com/a/20090614/000052.htm

t02200269_0637077910196634346.jpg












(適当想像翻訳)

YOSHIKIは北京市内の朝?体育館でファンの集いを開き、来年には鳥の巣でライブをやることを希望した。

初めて北京でのYOSHIKIの登場に、会場には大勢のファンがやってきて、みんな特色のある服装(コスのこと?)をして、手で「Ⅹ」をしてYOSHIKIを迎えた。

YOSHIKIの登場は20分間だけで、ステージでは英語で簡潔にいくつかの質問にだけ答えた。
再結成したあともファンはこれまでと少しも変わらず応援をしてくれる。これからも応援よろしく、と言った。(あやふや^^;)

話が北京でのコンサートもに及び、YOSHIKIはすでに鳥の巣の見学を終えており、来年には鳥の巣でコンサートをしたいと希望した。
YOSHIKIの言葉を聞いて、会場全体のファンは熱烈な拍手と歓声で答えた。


記者会見=ファンの集いだったのでしょうか?
熱烈歓迎の様子が伝わってくる~(〃∇〃)



■TOM.com
YOSHIKI会見 X JAPANは来年北京でコンサートを行う見込み

http://ent.tom.com/2009-06-14/000D/00227524.html

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YOSHIKIが昨日北京を訪れ、夜には北京市内の体育館で催されたファンの集いに出席した。

集まったファンの年齢層は広く、主婦から中学生までいた。出席したファンの一人ひとりが赤い薔薇を持っていた。コスの人もいた。

YOSHIKIが現れると、会場は叫ぶ声でいっぱいになった。
YOSHIKIが会場に来るために、警察の力さえ借りなければならなかったことから、秩序を保つように説明があった。

会見の時間はとても短く、YOSHIKIがファンとメディアのいくつかの質問に答えたあと、慌しく次の予定に向かった。


「赤い薔薇」のところがうまく翻訳できなかった( ̄Д ̄;;
全員が持ってた?んん?(^^;)よくわかりません~~ごめんなさい

写真がたくさんあります。
似た写真が多いけど、パンダのかぶりものの人がいて笑えました。




■どっかの新聞記事?

YOSHIKI 被災地区の孤児を助けたい

http://epaper.jinghua.cn/html/2009-06/14/content_430841.htm

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X JAPANのYOSHIKIが北京市内の体育館でファンの集いに出席した。
彼は、将来、両親を失ったために教育を受けられない子供達のためになにかしたい、と語った。

昨日のファンの集いのにぎわいは普通ではなく、YOSHIKIはサングラスをかけて登場し、ファンからは叫び声が上がった。

YOSHIKIは以前四川で災害に遭った子供たちを見舞い、その時彼は子供達にとって必要なのは本と音楽だと感じ、多くのピアノの曲を持って子供達にプレゼントした。

また、3週間前、彼は日本で自叙伝を出版した。

YOSHIKIは、今後もチャリティをメインのひとつとしてやっていき、、両親を失ったために教育を受けられない子供達のためになにかしたい、と語った。




前出の記事に載せた、ビデオクリップの動画も、
このファンの集いの会場で流されたものなんでしょうか








昨日の午後、成田を飛び立ったと思ったら、休む間もなく「鳥の巣」視察
→記者会見→上海へ移動((((((ノ゚⊿゚)ノ

スタレポさんじゃなくとも心配になります。
相当お疲れのようで、床で寝てしまうなんて~~~llllll(-_-;)llllll

だいじょぶか!?寝たというより倒れたんじゃないのか!? (; _ _ )

 

■北京記者会見1


http://www.youtube.com/watch?v=qahcFUhHVRM







■北京記者会見2

 

http://www.youtube.com/watch?v=qcwKpuC3xYk




インタビューアがVUKのことを尋ねているけど、名前を間違えて「VOK」と言っていて、YOSHIKIが「???」となっている(笑)





■北京の会場で流れたビデオクリップのようです。

四川を訪問したときの様子ですね!

いいビデオだわ~(〃∇〃)


http://www.youtube.com/watch?v=30TttR3-byg







http://www.youtube.com/watch?v=0taSL9uhQLI





 

 



■ 2009年6月12日 ~ 6月末

hide - city 住民限定

hide Memorial Days 2009 映像配信

 

本当に少しずつのようですが、

 

現地の模様がストリーミング配信で見れるそうです。

 

hide - cityは月額制度なので、

 

興味のある人は契約してみるのもいいかもしれないですね。

 

 

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hide Memorial Day 2009での映像をご覧になれます☆

 

 

hide-city住民限定

 

 

200952日、川崎クラブチッタで行われた

 

hide Memorial Day 2009 ~We Love hide~にて

上映された映像の一部をストリーミング配信にてご覧になれます♪

 

ベストアルバム『We Love hide The Best in The World』に

 

収録された110位までを、DJ浅井氏がカウントダウンランキング!

 

PVと、その楽曲にまつわるコメントがご覧になれます!

 

 

 

 

住民限定&6月末までの期間限定ですので

 

お見逃しなく☆

 

http://www.hide-city.com/
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